この世の矛盾を受け入れて生きるか?/虐殺器官 伊藤計劃
伊藤計劃は、伝説の文士、と言っても過言ではないだろう。
2009年にガンで亡くなり、作品数も、決して多いとは言えないが、非常に濃密な物語を紡ぐ人だ。読み終わった後に、こんなに心を引っ張られるのも、久しぶりである。
少々、ネタバレも含むので、未読の方は、ご注意を。
ブログ主は、普段、優しい人の方が、いざという時、とても怖いんだと思っている。人当たりの良い人ほど、ぷつんと糸か切れた時に、予想外のことをする。一生、その糸が切れなければ、それはわからないかもしれないけれど。
虐殺器官の主人公は、心優しき青年で、人を殺すことに対しての意図が、自分から生まれているのか、そうでないのか、なんてことも考えてしまう。
対照的に、仲間のウィリアムズは、人を殺すことに、主人公のクラヴィスほど考えたりはしない。
終盤、クラヴィスと戦う時に、ウィリアムズは、
「……(略)……俺は俺の世界を守る。そうとも、ハラペーニョ・ピザを注文して認証して受け取る世界を守るとも。油っぽいビッグマックを食いきれなくて、ゴミ箱に捨てる世界を守るとも」
と言う。
このセリフは、世界の人たちの多くの本音かな、と思う。
世界にある矛盾を、受け入れた方が生きやすいとは思うけれど、自分の中で気が付いてしまった矛盾を無視できない人もいる。
進化の中で、生じてしまった歪みを無視するかしないか。そんな示唆も、この作品には多く含まれているように感じた。
個人的に、この本を読みながら、伊藤計劃は、本当に書くことが好きで好きで、たまらない人なんだろうな、と思った。
もし、彼が、生きていたら、この世界を見て、どんな世界を紡ぐかな、と考える。
ああ。早く「ハーモニー」を買わないと…。読んでまた、精神的にのたうち回りたい。